国家安全保障会議(NSC)
国家安全保障会議(NSC)
日本には省庁を横断して国家戦略を考える仕組みが、必ずあるものだと思っていた私が間違いでした。
第二次安倍政権が2013年(平成25年)に国家安全保障会議(NSC)を創設するまでは、ガチでなかったのです。
国家戦略を考える仕組みがなかったということは、時の総理大臣の思い付きで日本のかじ取りを行ってきたということです。
長期的に国家をどのように運営するのか、その戦略がなかったのです。
会社に例えると、長期計画、中期計画が無いということなので、この事実はゾッとするような事かなと思います。
戦後61年間という長い年月
1952年(昭和27年)4月28日に、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、第二次世界大戦終結の1945年(昭和20年)9月2日以降、停止状態にあった日本の主権が回復しました。
そこから数えて61年後の2013年(平成25年)、ようやく日本にも国家戦略を考える仕組みが出来上がりました。
日本の敗戦は戦略ミスにある
日本は世界最強の軍事力を持っていた
1922年の軍縮会議で対米英6割か7割かで揉めていました。
日本が10割じゃ米国も英国も敵わないということの裏返しです。
日本は戦前、世界最強の軍事力を持っていました。
しかし、敗戦してしまいました。
日本が敗戦した理由
日本が戦争に負けたのは、結局のところ、戦う相手を間違えたことが敗戦の原因です。
もしくは、戦争の終わらせ方も決めずに戦いを始めたことが敗戦の原因です。
戦う相手を間違えたり、目的もなく戦争に突き進むなど、完全に戦略的な過ちです。
本来、戦うべき相手は共産主義国のソ連であり、米国と戦う必要はありませんでした。
米国との戦争も戦い方さえ間違えなければ勝っていました。
日本は戦略ミスで敗戦したのです。
敗戦したことが悔しくないのか?
多くの日本人は第二次世界大戦で敗戦したことを悔しく思っていません。
これは戦後の反省が不十分だと思います。
軍部が暴走した、帝国憲法が悪い、違います。
単純な戦略ミスにより日本は戦争に負けたのです。
敗戦で失った命
日本軍兵士の戦死、日本本土への空爆、2つの原爆投下、結果として約300万人もの命を失いました。
落とされた2つの原子力爆弾の名前
その名は「リトルボーイ」 (ちび)と「ファットマン」 (ふとっちょ)です。
私はこのことを初めて知った時、悔しくてたまりませんました。
国家戦略を間違えないために
私は二度と日本が戦略を間違えるようなことはして欲しくないと願っています。
だからこそ、国家安全保障会議(NSC)には注目しています。
日本の国家戦略を考えるために作られたのが国家安全保障会議(NSC)だからです。
「国家安全保障戦略(概要)」に目を通している日本人が何人いるでしょうか。
- 国家安全保障戦略に間違っている箇所はないか。
- 国家安全保障戦略の通りに政策が実行されているか。
残念ながら、国家安全保障戦略(概要)を読んでみると、中国に対して弱腰な雰囲気を感じます。
また、世論の関心は高くないようです。NSCでグーグル検索すると吉本総合芸能学院が一番上で、国家安全保障会議は全然出てきません。
これが現実ですね。
国家安全保障会議(NSC)の位置づけ
こんな感じです。
日本の安全保障戦略(NSS)
こんな感じです。
参考:首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzen_bouei/dai2/index.html)