救国のアーカイブ(倉山満)

アーカイブとは

「救国のアーカイブ(倉山満)」を読みました。

文書(ぶんしょ)を保管する方法を定めるアーカイブは、文明国としては当たり前に備えておくべき常識です。

アーカイブの世界

アーカイブの世界には3つの過程があります。

それが「保存」「整理」「公開」です。

何を「保存」して、何を残して、何を捨てるのか、すなわち「整理」です。

いつ「公開」するのか、すぐか、数十年後か、これらの方法を定めたものをアーカイブといいます。

文書(ぶんしょ)は隠すもの

時に文書(ぶんしょ)は隠すことも必要であり、何十年秘密とするのか、秘密であることを秘密とするのか、使い分けなければなりません。

なぜか。

個人情報と安全保障に関わる文書(ぶんしょ)は、特に厳密に扱わなければいけません。

インテリジェンスの世界の常識だからです。

国家の存亡を揺るがす事柄については、秘密にしなければならないこともあるのです。

たとえば、ケネディー暗殺事件の資料は2039年に公開されます。

暗殺事件が発生したのは1963年です。

実に76年後に資料が公開されるというものです。

これが、アーカイブ先進国アメリカのやり方です。

官僚組織の無謬性

官僚というのは間違いを認めることができない生き物です。

官僚の最終的な判断は間違っていない、という世界線で彼らは生きています。

それが無謬性というものです。

この無謬性を前提にして、アーカイブは考えなければなりません。

当然、官僚も人間ですから時には間違いを起こしてしまいます。

官僚が間違いを起こした時、無謬性の原則から、間違いはあってはいけないので隠してしまおう、となるのです。

しかし、政策の意思決定に関わる文書(ぶんしょ)が消えてしまっては、後世に政策の良し悪しを判断する材料がなくなってしまいます。

それを避けるために、意図的に文書(ぶんしょ)を隠す必要があるのです。

日本はアーカイブ後進国である

日本の役所は公文書の改ざん、破棄、隠蔽のオンパレード

わかりやすい例は、森友・加計問題です。

決裁文書の改ざん、無いとされた文書が後から出てくる、といった事件です。

最近では、暇空茜氏が東京都に対して、特定のNPO法人について情報開示をしていますが、全て黒塗りで返ってきていて、NPO法人の実態が明らかになりません。

これらは全て、アーカイブが確立されていないからこそ、起きてしまっていることです。

行政の意思決定に関わる文書(ぶんしょ)について「保存」「整理」「公開」のルールが定まっていれば、こういった問題は全て起こり得ません。

情報公開法は誰のため

平成13年(2001年)に情報公開法が施行されました。

野党やマスコミが言う「隠すな」「見せろ」「捨てるな」は、この情報公開法に基づきます。

情報公開法の施工前は、各省庁から国立公文書館に移管される文書が17,000冊ほどあったそうです。

情報公開法の施工後は674冊まで激減したそうです。

官僚組織の無謬性を理解した上で文書(ぶんしょ)の「保存」「整理」「公開」のルールを定めないと、行政の意思決定が全てブラックボックスになってしまいます。

このままでは、歴史を振り返った時に何の分析もできなくなってしまいます。

日本と対等なのはネパール

諸外国では国立公文書館を国家存立の基本的な機能であると理解して制度が整備され運用されています。

  • 米国2,500人
  • カナダ660人
  • イギリス450人
  • フランス440人
  • 中国560人
  • 韓国130人
  • 日本42人

この中で、職員数を水増ししている国があります。

それが日本です。

おいおい・・・

実態は10人程度と言われています。

歴史問題を解決したいなら、文書学から

天皇の戦争責任をアーカイブの視点から

このような議論を行うのがアーカイブです。

日本で最も権威がある国立公文書館の目録において、開戦の詔書の作成者は内閣となっています。作成者ではないのだから、天皇に戦争責任はありません。開戦の詔書は内閣の各大臣が副署した瞬間に効力を持つのだから天皇に責任はないのです。
文句があるのであれば、まずは国立公文書館に要請して目録を書き換えてから言えということになります。戦争責任が天皇にあるとするならば、宣戦の詔書の作成責任が天皇にあるということを確立しなければいけません。

こう聞かされるとアーカイブって大事だなと思いますね。

文書学(もんじょがく)の知識なしに、中身の議論をしても決着しない

その史料が本物かどうか、確認するのが先です。

そして、本物であったとしても、それが本当に歴史学で使えるかは別の話です。

どういった状況で書かれたものなのか、毎日書いていた日記なのか、誰かに無理やり書かされたものなのか、全然違いますよね。

そういったことをひっくるめて、史料の正しさを議論するのが文書学(もんじょがく)です。

日本の歴史問題に関しては、中身の話をするよりも、文書学(もんじょがく)で戦う方が日本に有利です。

感想

「救国のアーカイブ(倉山満)」を読んで感じました。

日本の弱点は官僚と政治にあるなと。

このままいくと、官僚は大切な文書を残そうとしません。

財務省ではメールは60日を経過したら削除するというルールがあるそうです。

ヤバイですよね。

これからも、公文書の改ざんは後を経たないでしょう。

文書管理を徹底するという意識決定は政治家がするものです。

そういう政治家が誕生するためには、国民からの後押し、圧倒的な世論が必要です。

「日本はアーカイブ後進国である」ことがもっと広まってくれれば良いなと思います。